神御清明(カミウシーミー)・清明祭(シーミー)
神御清明(カミウシーミー)・清明祭(シーミー)
旧暦3月の<清明の節>に行う祖先供養の行事。
中国から伝わった祖先供養の行事です。
『球陽』(きゅうよう)の尚穆(しょうぼく)王17年(1768年)の項に始めて、
毎年清明祭を行うことを定めるという記述があり、
この年以降、年中行事のひとつとして行われるようになったようです。
首里士族を中心に、徐々に地方農村へ普及、伝播していきました。
本島北部や先島地域(宮古・八重山)は例外で、
士族階層だけに普及は留まったようで、ごく一部だけに広まったり、
簡略化されていたりしているようす。
清明祭は
神御清明(カミウシーミー)と
清明祭(シーミーサイ)の2つに区別されます。
神御清明は清明の入り日に行うことが多いですが、
最近は入り日に近い休日に行う傾向があります。
また第2尚氏王統初代の王、尚円王縁の地伊是名島では村役場の人間が、
以前は尚円王縁の家(めかる家等4殿内)が行なっていた神御清明を引き継ぎ、
以前と変わらぬ方法(料理、器、作法すべて)で、行なっているようです。
(器は当時使用したものをそのまま使っています。
通常は伊是名村ふれあい民族館に保管されている
道具を清明祭の時だけ持ち出すのです)
伊是名の村しどうの清明祭は、普通の清明祭の「お墓の前でお弁当を広げてピクニック感覚」
とはい、子孫の繁栄を祈る儀式的な意味合いが強いもののようです。
第2尚氏王朝時代、尚円縁の地である伊是名からその年の清明祭が始まり、
このような王府の清明祭が終わってから民の清明祭を行なったのだそうです。
清明祭(シーミー)は トーシー墓を対象に行う墓前祭のことをいいます。
門中やハラのメンバーが墓前に集まって、お酒や重箱料理を供え、ウチカビ(紙銭。
あの世のお金と私たちは呼んでいます)を焼きます。
供えていた重箱料理をみんなで食べるのです。
それもお墓の前で、です。お墓の前でピクニック、(酒もあるので宴会か……)という感じでしょうか。
シーミーは日頃疎遠な親戚と顔を合わせる(親交を深める)またとない機会。
久しぶりにあう従姉妹・従兄弟たちや親戚たちとわいわい楽しく騒ぐために参加するっと言っても過言ではないかもしれません。
清明祭は神御清明の後、後日行います。
仏前だけの清明祭をする地域も中にはあるようです。
この時期、休日になるとあちらこちらで墓の前でピクニックしている光景を
みることができるかと思います。それをみてみるのもまた面白いかも。
参考文献 沖縄大百科事典・琉球歴史便覧・RBCウチナー紀聞より
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