坂本龍馬
坂元龍馬(さかもとりょうま)
龍馬は一介の浪人であるが、
日本史を二回も曲げてしまう快挙をやってのけた。
一つは犬猿の仲であった薩長を連合し、
もう一つは大政奉還という歴史的な舞台をデッチ上げたことだ。
そんな彼の生涯は、太く、短い。家族には悲劇の雨を降らせ、
それでも日本の行くべき道を示すべく暗躍し、非業の死を遂げた。
龍馬の墓は、盟友・中岡慎太郎とともに祀られている。
右が中岡、左が龍馬で、同じ寸法、同じスタイルの本名墓である。
戒名 - 玉垣 95cm
職業 幕末期の志士 境石 41cm
没年齢 33歳 竿石 130cm(細長い竿石)
所在地 京都市東山区・護国神社 石質 自然石
墓の方位 西 墓のスタイル 奇型
正面入り口の方位 西 台座 1段・高さ10cm
1841年京都生まれ。
本名は
楢崎龍(ならさきりょう)。
一般的にお龍と呼ばれ、坂本龍馬の妻として有名。
安政の大獄で投獄された父が亡くなり、
平穏で豊かな生活は一変し一家離散となった。
幼い4人の弟妹を養うため、京都の料理屋で働いていた。
その頃に龍馬と知り合う。
寺田屋で龍馬が幕吏に取り囲まれた際、
風呂にはいっていたお龍が裸のまま2階の龍馬に知らせ、
難を逃れたのは有名なお話。
その後龍馬に自由奔放な人柄に認められ、
中岡慎太郎を仲人に結婚。その後薩摩へ寺田屋事件の傷湯治にいく。
日本最初の新婚旅行と言われる。
しかし1867年龍馬が暗殺されると、
坂本家に身を寄せるも坂本乙女との相性が合わず数ヶ月で坂本家を出る。
その後、横須賀の商人西村松兵衛と再婚。
34歳の時に男児を出産するが、その息子は17歳で死去。
晩年はアルコール依存症状態で、
「私は龍馬の妻だ」と酔っては松兵衛にこぼしていたという。
1906年神奈川県横須賀で没する。享年66歳。
墓碑には「贈四位阪本龍馬之妻龍子之墓」と刻まれています。
戒名 照龍院閑月珠光大姉 玉垣 なし
職業 坂本龍馬の妻 境石 コンクリート
没年齢 66歳(56歳説有) 竿石 150cm
所在地 横須賀市大津町・信楽寺 石質 黒系
墓の方位 南々西 墓のスタイル
正面入り口の方位 南々西 台座 上41cm(幅65cm)
下48cm(幅129cm)
参考資料
日本の墓
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