2010年08月13日

士族門中・百姓門中

士族門中・百姓門中



士族門中・百姓門中



士族門中・百姓門中



沖縄では、親戚一同の一族一門のことを「門中」と言います。

現在、「門中」と呼ばれている人々は、その一族の出自の系譜図を持ち、

ルーツを同じくする一族の集団を形成しています。


彼らは、その一族により年中の各種の行事をやり、

自分たち一族の墓を守っています。

沖縄の「門中」というしくみのことをしゃべりだすとそれだけで

一冊の本になりますので、ここでは、上面のことだけを話します。

そもそも制度として沖縄にこうした概念が出現をしたのは、

近世琉球以降ではないかと言われています。




近世琉球とは、薩摩の侵入があった1609年から1879年までの沖縄をさします。




士族門中・百姓門中





 「系図座」

「系図座」とは、琉球王府が1689年に設置をした役所の1つです。

士族たちに、始祖から代々の生没・業績を系図(家譜)として

作成させ王府に提出させました。


このことにより、それまでは大雑把に

大名・士・百姓と分けられていた身分制度の中の

士族をさらに厳密に分けることとなり、

より一層明確な身分制度を確立しました。

なぜ、このように士族たちの出自をより

明確にさせることになったのかと言いますと、

王国の扶養能力を越えて増加をし続ける

士族連中の扶持対策の一環であったのではないか、と言われています。


つまり、王府が扶養するしないの線引きを明らかにしたということだと思います。

こうした試みが、当時より積極的に導入されていた儒教の考えと相乗して、

広く琉球社会に定着していくことになるのです。






士族門中・百姓門中




士族門中・百姓門中



このような自分たちの一族一門の出自を明らかにして「門中」として、

結束し何かにあたっていくように民衆たちまでもがなったのは、

琉球王国の身分制度が崩壊をした近代以降です。


今では、多くの「門中」が自分たちの家譜を再現をし、

大切に守っています。


ただし、当時の王府が公認した家譜については、

王府の公認印がおされています。


どちらにしても沖縄社会が、一族一門のつながりを大事にして

社会を構成してきたことに間違いはありません。











ホームページ公開中

http://ameku148.com

【天久石材店】






同じカテゴリー(沖縄お墓)の記事
石板注文
石板注文(2013-03-30 17:29)


Posted by 石屋の正 at 19:15│Comments(0)沖縄お墓
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。