2010年08月17日
不妊虫放飼(ふにんちゅうほうし)
不妊虫放飼
不妊虫放飼(ふにんちゅうほうし)は、害虫駆除の方法の一つで、
人工的に不妊化した害虫を大量に放すことで、
害虫の繁殖を妨げる方法である。
特定害虫の根絶を目的に行われる。
またまた、テーマ「お墓」とは無関係だが,
友人から借りた本を読んで気になったので調べてみた。

方法
特定の害虫を人工的に増殖し、それを不妊化して野外に放した場合、
野外にいる害虫が交尾相手に放飼した個体を選べば、
子孫を得ることが出来なくなるから、害虫個体は減少する。
もしも、野外個体すべてが放飼した個体とだけ交尾すれば、
次世代の害虫の個体数は0になる。
したがって、放飼を十分に続ければ、
害虫個体数が少なくなればなるほどその効果は高くなり、
最終的には根絶(地域個体群の絶滅)に持ち込める。
現在のところ、特定の害虫を根絶させる方法としては、
ほとんど唯一の方法である。
ただし、野生雌の出会う不妊雄の数が少量であれば、
個体数を減らす効果は得られないため大量の害虫を生産する必要がある。
不妊化には、普通は放射線が使われる。
そのため、不妊雄の生産には、専門的な昆虫生産工場が必要になる。
ただし、この方法が使えるには、さまざまな条件がある。
人工的に大量に飼育することが可能であること。
野生個体群の個体数を超えるほどの数を生産する必要があるからである。
野外において、その害虫が隔離された場所にいるか、
あるいは移動性が低いこと。
放飼をしていない地域との個体の行き来があればうまく行かない。
この方法は、根絶が出来なければ、ずっと継続しなければならないが、
上記のように、規模の大きい作業になり、
金もかかるので、根絶することを前提にしなければ成立しない。
成虫が被害を出さないこと。
幼虫が害を与えるが、成虫になれば被害を出さないような害虫が対象でなければならない。
害虫の個体数が一時的に倍増するような事態が生じるからである。
たとえば幼虫が農業害虫で、成虫が花の蜜を吸うような昆虫であれば問題は生じない。
しかし、ハブをこの方法で駆除しようとすれば、
被害は激増することになろう。
ブラックバスに対してこの方法を使う提案もあったが、
不妊化したブラックバスが野外で水生動物を食べるので無理である。
成虫が何度も交尾をするようなものには向かない。
雌が数頭を相手に交尾をするとすれば、
そのどれかが野生個体であれば子供が出来てしまう。
出来れば1回しか交尾をしないか、複数回したとしても、
たとえば最後の交尾の時の精子だけが有効になるなどであれば効果が期待できる。
上記のように、かなり条件としては厳しいが、
昆虫の場合、親と幼虫の食性の異なるものは少なくない。
害虫であれば大量飼育の難しくないものも多い。
この方法では、野外に薬剤を使用しないので環境汚染がないこと
(現実には個体数減少をねらって薬剤を使用する場合がある)、
薬物抵抗性のように、次第に効果がなくなるようなことがないこと、
すでに存在する種を放すので、
外来種を持ち込むような在来の生物群集の攪乱を起こさないこと、
同種内の繁殖に関わる構造を壊すだけで、
他の種類への影響が少ないことなど、優れた特徴がある。
なお、上記の「次第に効果がなくなるようなことがない」は必ずしも正しくない。
というのは、放される虫が野外個体と全く同じであれば問題ないのであるが、
人工飼育下ではそれが必ずしも保証されないからである。
工場施設で大量飼育するためには、自然界と同じ環境が用意されるわけではない。
そのため、一定の家畜化のような変化が生じることは十分に考えられる。
このためにたとえば野外における交尾成功率が下がるようなことがあれば、
駆除の成功は難しくなるであろう。

歴史
不妊虫放飼法を発案したのはアメリカ合衆国のE.F.ニップリングである。
彼は北アメリカ南部地方で、幼虫がヒツジなど家畜に寄生して被害を与える
クロバエ科オビキンバエ亜科のラセンウジバエの駆除法としてこれを開発し、
1955年にキュラソー島での根絶に成功、
アメリカ本土での駆除にかかり、1959年までに、
フロリダ地方での根絶に成功した。
なお、この事業は、不妊化に放射線を使うため、
”核の平和利用”の一環としてのデモンストレーション的意味合いがあり、
その分野からの後押しが大きかったとも言われる。
その後ミバエ類などを対象に、世界の何カ所かで同様の方法での駆除が行われたが、
成功したところも、失敗に終わった場合もある。
沖縄のウリミバエ
日本では、沖縄のウリミバエに対してこの方法が行われ、
成功を収めている。ウリミバエは腰がくびれ、
一見ハチのように見える1cm足らずのミバエで、
キュウリやゴーヤーなどウリ類を中心とした果実に親が産卵し、
幼虫は果実の内部を食い荒らす。
もともと日本にはいなかったが、台湾から侵入したらしく、
20世紀初頭に八重山で見つかり、
1970年には沖縄本島周辺の離島である久米島で発見された。
このため、沖縄からはウリ類などの本土への出荷ができず、
また、このままでは本土への侵入も懸念されることから、
復帰記念事業の一つとして久米島での
ウリミバエの不妊虫法飼法による根絶が行われることになった。
なお、ウリミバエは次第に北上して1980年頃には
奄美群島を含む琉球列島全域に見られるようになった。
この事業の興味深いところは、
当初から伊藤嘉昭らの個体群生態学者が計画に深く関わり、
綿密な生態学的データの収集による調査結果の検討と、
根絶事業が同時進行的に進められたことで、
そのためさまざまな記録や学術論文が残されている。
伊藤はこれについて、上記のようにこの方法での対象根絶の失敗例が多いこと、
しかもそれらに生態学者の検討が入っていないために
失敗の理由や原因も示されていないことを挙げ、
そう言った方面の検討を行いながら事業を進める必要性を述べている。
久米島での根絶事業は1972年に始まり、
1977年に農林省から「根絶に成功した」との発表が行われた。
この間に放飼したハエの数は約3億匹に上る。
那覇市にウリミバエ生産工場が造られ、
最高で週に200万匹を生産、送り出した。
ちなみに久米島の面積は約60平方キロ、
ウリミバエは作物だけでなく野生の果実にも付く。
事業開始当初のウリミバエの雄の個体数は、さまざまな調査の結果、
11月下旬に最も多く、このときの個体数は1ヘクタールあたり650匹、
島全体では250万匹という推定値が出ている。
ちなみに、生まれてくる個体数はもっと多く、約4倍と見積もられている。
久米島に続いて、規模の小さい宮古群島での根絶事業が行われた。
その後に沖縄本島の根絶事業が始まった。
第1弾として雄を誘引する薬剤による駆除が行われ、
これによって個体数を減少させ、それから不妊虫放飼にかかる段取りである。
沖縄本島では1986年に実際の作業が始まり、
1990年、根絶の成功が発表された。
最後の八重山諸島では、1993年に根絶が確認された。
全事業に要した費用は169億6400万円、この間に放飼されたハエの数は約530億7743万匹に上る。
参考文献
伊藤嘉昭『虫を放して虫を滅ぼす 沖縄・ウリミバエ根絶作戦私記』(1980)中公新書(中央公論社)
小山重郎『害虫はなぜ生まれたのか 農薬以前から有機農業まで』(2000)東海大学出版会
ホームページ公開中
http://ameku148.com
【天久石材店】
【沖縄一の安さを目指す】
不妊虫放飼(ふにんちゅうほうし)は、害虫駆除の方法の一つで、
人工的に不妊化した害虫を大量に放すことで、
害虫の繁殖を妨げる方法である。
特定害虫の根絶を目的に行われる。
またまた、テーマ「お墓」とは無関係だが,
友人から借りた本を読んで気になったので調べてみた。
方法
特定の害虫を人工的に増殖し、それを不妊化して野外に放した場合、
野外にいる害虫が交尾相手に放飼した個体を選べば、
子孫を得ることが出来なくなるから、害虫個体は減少する。
もしも、野外個体すべてが放飼した個体とだけ交尾すれば、
次世代の害虫の個体数は0になる。
したがって、放飼を十分に続ければ、
害虫個体数が少なくなればなるほどその効果は高くなり、
最終的には根絶(地域個体群の絶滅)に持ち込める。
現在のところ、特定の害虫を根絶させる方法としては、
ほとんど唯一の方法である。
ただし、野生雌の出会う不妊雄の数が少量であれば、
個体数を減らす効果は得られないため大量の害虫を生産する必要がある。
不妊化には、普通は放射線が使われる。
そのため、不妊雄の生産には、専門的な昆虫生産工場が必要になる。
ただし、この方法が使えるには、さまざまな条件がある。
人工的に大量に飼育することが可能であること。
野生個体群の個体数を超えるほどの数を生産する必要があるからである。
野外において、その害虫が隔離された場所にいるか、
あるいは移動性が低いこと。
放飼をしていない地域との個体の行き来があればうまく行かない。
この方法は、根絶が出来なければ、ずっと継続しなければならないが、
上記のように、規模の大きい作業になり、
金もかかるので、根絶することを前提にしなければ成立しない。
成虫が被害を出さないこと。
幼虫が害を与えるが、成虫になれば被害を出さないような害虫が対象でなければならない。
害虫の個体数が一時的に倍増するような事態が生じるからである。
たとえば幼虫が農業害虫で、成虫が花の蜜を吸うような昆虫であれば問題は生じない。
しかし、ハブをこの方法で駆除しようとすれば、
被害は激増することになろう。
ブラックバスに対してこの方法を使う提案もあったが、
不妊化したブラックバスが野外で水生動物を食べるので無理である。
成虫が何度も交尾をするようなものには向かない。
雌が数頭を相手に交尾をするとすれば、
そのどれかが野生個体であれば子供が出来てしまう。
出来れば1回しか交尾をしないか、複数回したとしても、
たとえば最後の交尾の時の精子だけが有効になるなどであれば効果が期待できる。
上記のように、かなり条件としては厳しいが、
昆虫の場合、親と幼虫の食性の異なるものは少なくない。
害虫であれば大量飼育の難しくないものも多い。
この方法では、野外に薬剤を使用しないので環境汚染がないこと
(現実には個体数減少をねらって薬剤を使用する場合がある)、
薬物抵抗性のように、次第に効果がなくなるようなことがないこと、
すでに存在する種を放すので、
外来種を持ち込むような在来の生物群集の攪乱を起こさないこと、
同種内の繁殖に関わる構造を壊すだけで、
他の種類への影響が少ないことなど、優れた特徴がある。
なお、上記の「次第に効果がなくなるようなことがない」は必ずしも正しくない。
というのは、放される虫が野外個体と全く同じであれば問題ないのであるが、
人工飼育下ではそれが必ずしも保証されないからである。
工場施設で大量飼育するためには、自然界と同じ環境が用意されるわけではない。
そのため、一定の家畜化のような変化が生じることは十分に考えられる。
このためにたとえば野外における交尾成功率が下がるようなことがあれば、
駆除の成功は難しくなるであろう。
歴史
不妊虫放飼法を発案したのはアメリカ合衆国のE.F.ニップリングである。
彼は北アメリカ南部地方で、幼虫がヒツジなど家畜に寄生して被害を与える
クロバエ科オビキンバエ亜科のラセンウジバエの駆除法としてこれを開発し、
1955年にキュラソー島での根絶に成功、
アメリカ本土での駆除にかかり、1959年までに、
フロリダ地方での根絶に成功した。
なお、この事業は、不妊化に放射線を使うため、
”核の平和利用”の一環としてのデモンストレーション的意味合いがあり、
その分野からの後押しが大きかったとも言われる。
その後ミバエ類などを対象に、世界の何カ所かで同様の方法での駆除が行われたが、
成功したところも、失敗に終わった場合もある。
沖縄のウリミバエ
日本では、沖縄のウリミバエに対してこの方法が行われ、
成功を収めている。ウリミバエは腰がくびれ、
一見ハチのように見える1cm足らずのミバエで、
キュウリやゴーヤーなどウリ類を中心とした果実に親が産卵し、
幼虫は果実の内部を食い荒らす。
もともと日本にはいなかったが、台湾から侵入したらしく、
20世紀初頭に八重山で見つかり、
1970年には沖縄本島周辺の離島である久米島で発見された。
このため、沖縄からはウリ類などの本土への出荷ができず、
また、このままでは本土への侵入も懸念されることから、
復帰記念事業の一つとして久米島での
ウリミバエの不妊虫法飼法による根絶が行われることになった。
なお、ウリミバエは次第に北上して1980年頃には
奄美群島を含む琉球列島全域に見られるようになった。
この事業の興味深いところは、
当初から伊藤嘉昭らの個体群生態学者が計画に深く関わり、
綿密な生態学的データの収集による調査結果の検討と、
根絶事業が同時進行的に進められたことで、
そのためさまざまな記録や学術論文が残されている。
伊藤はこれについて、上記のようにこの方法での対象根絶の失敗例が多いこと、
しかもそれらに生態学者の検討が入っていないために
失敗の理由や原因も示されていないことを挙げ、
そう言った方面の検討を行いながら事業を進める必要性を述べている。
久米島での根絶事業は1972年に始まり、
1977年に農林省から「根絶に成功した」との発表が行われた。
この間に放飼したハエの数は約3億匹に上る。
那覇市にウリミバエ生産工場が造られ、
最高で週に200万匹を生産、送り出した。
ちなみに久米島の面積は約60平方キロ、
ウリミバエは作物だけでなく野生の果実にも付く。
事業開始当初のウリミバエの雄の個体数は、さまざまな調査の結果、
11月下旬に最も多く、このときの個体数は1ヘクタールあたり650匹、
島全体では250万匹という推定値が出ている。
ちなみに、生まれてくる個体数はもっと多く、約4倍と見積もられている。
久米島に続いて、規模の小さい宮古群島での根絶事業が行われた。
その後に沖縄本島の根絶事業が始まった。
第1弾として雄を誘引する薬剤による駆除が行われ、
これによって個体数を減少させ、それから不妊虫放飼にかかる段取りである。
沖縄本島では1986年に実際の作業が始まり、
1990年、根絶の成功が発表された。
最後の八重山諸島では、1993年に根絶が確認された。
全事業に要した費用は169億6400万円、この間に放飼されたハエの数は約530億7743万匹に上る。
参考文献
伊藤嘉昭『虫を放して虫を滅ぼす 沖縄・ウリミバエ根絶作戦私記』(1980)中公新書(中央公論社)
小山重郎『害虫はなぜ生まれたのか 農薬以前から有機農業まで』(2000)東海大学出版会
ホームページ公開中
http://ameku148.com
【天久石材店】
【沖縄一の安さを目指す】
Posted by 石屋の正 at 16:00│Comments(0)
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