2010年09月10日

1号線

国道58号


一般国道


国道58号

総距離 約857km

陸上距離 255.5km

海上距離 約600km

制定年 1972年

起点 鹿児島県鹿児島市


経由都市

鹿児島県
西之表市、熊毛郡南種子町(種子島)
奄美市、大島郡瀬戸内町(奄美大島)

沖縄県
国頭郡国頭村、名護市、中頭郡嘉手納町、宜野湾市、浦添市


終点 沖縄県那覇市




1号線

塩屋大橋(大宜味村)



1号線

嘉手納町



1号線

宜野湾市



1号線

明治橋(那覇市)




国道58号(こくどう58ごう)は、

鹿児島県鹿児島市から沖縄県那覇市へ至る一般国道である。

途中、種子島、奄美大島を経て、沖縄本島に達する

(一部区間、大宜味村の宮城島を通過)。

海上区間が大部分を占める。


鹿児島市内では700m程だが『朝日通り』の愛称がある。

沖縄県では「沖縄の大動脈・国道58号」などと称されているが、

種子島、奄美大島のそれぞれの区間においても交通の大動脈である。




九州・沖縄を通じて交通量がもっとも多い国道である。

平成17年度道路交通センサスによる平日24時間交通量は、

沖縄県浦添市勢理客で81,255台/日であり、

九州・沖縄で第1位であった。

ちなみに、第2位は国道202号長崎県長崎市大黒町長崎駅前(76,346台/日),

第3位は国道3号福岡県糟屋郡新宮町大字三代(70,372台/日)である。


沖縄県内では、主に若者の間で「ゴーパチ」などと呼ばれている。

また沖縄県内で唯一の片側3車線道路(明治橋 - 嘉手納交差点付近の区間)である。

毎年10月に開催される那覇まつりのメインイベントである那覇大綱挽は、

那覇市久茂地交差点付近で、可動式の中央分離帯を撤去した上で行われる。





歴史

沖縄県内での起点・国頭村奥にある記念碑。

本土復帰した1972年に一般国道への指定を記念して建立された。

国道58号の沖縄県内部分は、

米軍が整備・指定したHighway No.1(那覇市 - 国頭村)がその起源となる。

当時は緊急時の滑走路としての利用も考えられて作られていた。

1952年4月1日の琉球政府発足後、琉球政府の道路法に基づき、

読谷村大湾 - 名護町名護 - 国頭村奥は政府道一号線

(政府道は日本の国道に相当)に認定されたが、


那覇市明治橋 - 読谷村大湾は米軍が管理する軍道のままであった。

読谷村 - 名護町についても、政府道にはなっていたが、

管理は米軍が行っていた。


1972年4月25日、軍道の管理が琉球政府に移管された。

以下に述べるように国道58号となった後も沖縄県内では一般には時に1号線と呼ばれた。


その年の5月15日、沖縄返還と同時に、

政府道一号線を含む鹿児島県鹿児島市から

沖縄県那覇市までの区間が一般国道58号に指定された。

1965年に国道の一級・二級の別がなくなり、

以降新設される国道には三桁(272号以降)の路線名が与えられていた。

その後に新設された一般国道58号は、

特例として二桁の路線名が付与されたものである。










参考資料

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




















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Posted by 石屋の正 at 18:56│Comments(0)アフター
 
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