2010年12月16日

モン・サン=ミシェル(Mont Saint-Michel)

モン・サン=ミシェル(Mont Saint-Michel)



モン・サン=ミシェル(Mont Saint-Michel)

満潮時に、写真中央下(観光バス)の所は海水が入り

駐車できない。

今は、干潮です。


モン・サン=ミシェル(Mont Saint-Michel)

モン・サン=ミシェルからの写真

お墓です。

勾配が急で、石の運搬も大変だったのでは?





モン・サン=ミシェル(Mont Saint-Michel)









モン・サン=ミシェル(Mont Saint-Michel)とは

フランス西海岸、サン・マロ湾上に浮かぶ小島に築かれた修道院である。

カトリックの巡礼地のひとつであり「西洋の驚異」と称され、

1979年「モンサンミシェルとその湾」として

ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録され、

1994年10月にはラムサール条約登録地となった。





モン・サン=ミシェルの歴史

この島はもともとモン・トンブ(墓の山)と呼ばれ

先住民のケルト人が信仰する聖地であった。

708年、アヴランシュ司教オベールが夢のなかで大天使・

ミカエルから「この岩山に聖堂を建てよ」とのお告げを受けたが、

悪魔の悪戯だと思い信じなかった。

再び同じ夢を見たが、また信じなかった。

ついに3度目には大天使はしびれを切らし、

今度はオベールの額に指を触れて強く命じたところ、

オベールは稲妻が脳天を走る夢を見た。

翌朝、オベールは自分の頭に手を置くと

脳天に穴が開いていることに気づいて愕然とし、

ここに至って大天使ミカエルのお告げが本物であると確信して

ここに礼拝堂を作ったのが始まりである。


966年にはノルマンディー公リシャール1世が

ベネディクト会の修道院を島に建て、

これが増改築を重ねて13世紀にはほぼ現在のような形になったものである。

中世以来、カトリックの聖地として多くの巡礼者を集めてきた。



1900年当時の満潮時の様子百年戦争の期間は

島全体が英仏海峡に浮かぶ要塞の役目をしていた。

モン・サン=ミシェルの入り口には

今もイギリス軍が捨てていった大砲とその弾が残っている。


陸地化が進んだ様子(2004年当時)18世紀末のフランス革命時に

修道院は廃止され1863年まで国の監獄として使用され、

その後荒廃していたが、ヴィクトル・ユゴーの紹介がナポレオン3世を動かし、

1865年に再び修道院として復元され、ミサが行われるようになった。

19世紀には陸との間に堤防を造成して鉄道・道路ができ陸続きになり(鉄道は後に廃止)、

フランス西部の有数の観光地となっている。


1979年にはユネスコの世界遺産に登録された。

2006.8.5現在、3人の修道士が在住し、

9人の修道女が近隣の町から通って運営に当たっている。

近年、堤防の影響により、島の周囲が砂洲化しつつあり、

国家事業として、かつての「島」に戻すプロジェクトが進んでいる。




ディズニーのお城は、モン・サン=ミシェル(Mont Saint-Michel)を

参考にしたと聞いている。









参考資料

ウィキペディア




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Posted by 石屋の正 at 08:02│Comments(0)アフター
 
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