2011年08月25日
絶景かな・絶景かな!!
絶景かな・絶景かな!!

臨済宗南禅寺派の大本山。
京都五山のひとつに数えられる。
五山を同じ位置から見ることは出来るらしいが場所が限られ
抽選で場所取りをするそうです。
私たちは、東大文字送り火を見ました。
東大文字送り火は、この南禅寺側の山手になります。
南禅寺に行ったその夜に見ることに!!
三門(写真)は、2層からなり高さ22mもある。
歌舞伎の中の石川五右衛門のセリフ、「絶景かな、絶景かな」で知られる。
国宝の方丈は、大方丈と小方丈からなっており、
ともに狩野元信や狩野探幽ら狩野派の筆による襖絵がみられる。
また方丈庭園は、俗に「虎の子渡し」と呼ばれ、
江戸初期の禅宗式枯山水であり小堀遠州の作である。
境内には、総門、放生他、勅使門、三門、法堂、方丈の大伽藍が並ぶ。
境内の南東には、疏水の流れる水路閣もみられる。
石川五右衛門は安土桃山時代の盗賊で、
豊臣秀吉所持の千鳥の香炉を盗もうとして捕らえられ、
釜煎りの刑に処されたといわれている。
文禄3年(1594)に処刑の記録があるため、実在の人物とされるが、
その詳細は不明である。出生地も伊賀国(三重県)、河内国(大阪府)、
浜松(静岡県)など様々な説があり、その内の一つに丹後地方がある。
丹後に残る記録では、大名一色氏の家老石川秀門の次男で、
後に盗賊になった五郎左衛門を石川五右衛門としている。
江戸時代に五右衛門を取り上げた作品は数多く存在し、
大盗賊としての五右衛門像の他に、
忍術使いとしての姿など様々な描かれ方がなされている。
安永7年(1778)に上演された歌舞伎「金門五三桐」以降、
京都南禅寺の山門から春の景色を眺める五右衛門の姿が定着し、
錦絵でもこの場面の五右衛門を描いた作品が多く残されている。


三門上部 階段の段差が40㎝近い
お年を召した方は非常に危険である。

疏水の流れる水路閣
ドラマ(サスペンス劇場)などでよくでる場所
覚えておいて!!

臨済宗南禅寺派の大本山。
京都五山のひとつに数えられる。
五山を同じ位置から見ることは出来るらしいが場所が限られ
抽選で場所取りをするそうです。
私たちは、東大文字送り火を見ました。
東大文字送り火は、この南禅寺側の山手になります。
南禅寺に行ったその夜に見ることに!!
三門(写真)は、2層からなり高さ22mもある。
歌舞伎の中の石川五右衛門のセリフ、「絶景かな、絶景かな」で知られる。
国宝の方丈は、大方丈と小方丈からなっており、
ともに狩野元信や狩野探幽ら狩野派の筆による襖絵がみられる。
また方丈庭園は、俗に「虎の子渡し」と呼ばれ、
江戸初期の禅宗式枯山水であり小堀遠州の作である。
境内には、総門、放生他、勅使門、三門、法堂、方丈の大伽藍が並ぶ。
境内の南東には、疏水の流れる水路閣もみられる。
石川五右衛門は安土桃山時代の盗賊で、
豊臣秀吉所持の千鳥の香炉を盗もうとして捕らえられ、
釜煎りの刑に処されたといわれている。
文禄3年(1594)に処刑の記録があるため、実在の人物とされるが、
その詳細は不明である。出生地も伊賀国(三重県)、河内国(大阪府)、
浜松(静岡県)など様々な説があり、その内の一つに丹後地方がある。
丹後に残る記録では、大名一色氏の家老石川秀門の次男で、
後に盗賊になった五郎左衛門を石川五右衛門としている。
江戸時代に五右衛門を取り上げた作品は数多く存在し、
大盗賊としての五右衛門像の他に、
忍術使いとしての姿など様々な描かれ方がなされている。
安永7年(1778)に上演された歌舞伎「金門五三桐」以降、
京都南禅寺の山門から春の景色を眺める五右衛門の姿が定着し、
錦絵でもこの場面の五右衛門を描いた作品が多く残されている。
三門上部 階段の段差が40㎝近い
お年を召した方は非常に危険である。
疏水の流れる水路閣
ドラマ(サスペンス劇場)などでよくでる場所
覚えておいて!!
Posted by 石屋の正 at 18:19│Comments(0)
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