長寿の島 沖縄
長寿の島 沖縄
食材のルーツ
以前より琉球・沖縄は中国・朝鮮・東南アジア、
そして日本との交易をしていました。
このことが琉球・沖縄の食文化にも大きな影響を与えています。
例えば、ゴーヤ(苦瓜)は550年前渡来したことで、
昔から重宝された夏野菜であります。
おそらく、大交易時代に中国や
東南味アジアから来たといわれています。
チャンプルー(混ぜる)という言葉も
インドやマレーシアでも同じ意味で使われています。
琉球政府は、年貢の他に砂糖・
ウコンなど専門商品でまかなっていました。
砂糖やウコンなど販売して薩摩から借り入れの銀を返済し、
残った利益で貿易品の買い入れをしていました。
中国での取引は、福州の琉球館を拠点に行われていた
中国商人へは昆布・あわび・フカヒレを売り、
生糸反物、薬種など仕入れてきました。
しかし、沖縄では昆布がほとんど取れないのに
どのようにして中国に売っていていたのでしょうか。
それは、琉球貿易が時代によって大きく変動していった要因があります。
17世紀後半に、川村瑞賢によって本州の西回り・
東回りの航路が開発されると、
蝦夷地(北海道)の海産物が江戸・
大阪に大量に運ばれるようになりました。
18世紀末には、北前船によって
蝦夷地から日本海を通って大阪に運ばれた昆布を、
薩摩商人が砂糖と換え、さらに昆布を
琉球の進貢貿易に利用して中国に輸出されました。
昆布は単に輸出品としてだけではなく食生活にも大きな影響を与え、
豚肉ともに沖縄料理には欠かせない食品となりました。
よって昆布のルーツは蝦夷地(北海道) 大阪→薩摩→琉球へとなり、
沖縄に根付くようになりました。
海藻類も要因の一つとなっていることは間違いありません。
沖縄の長寿は大交易時代によって築かれたのかもしれませんね。
参考資料
親から子へのメッセージ
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