ちょっと 一息・・・三門(南禅寺 京都)

石屋の正

2012年08月26日 14:36

ちょっと 一息・・・三門(南禅寺 京都)




三門 2F



大型台風15号が通過している 今

自宅でパソコンに向う 私・・・・・

この台風の影響で工事の遅れが心配な 私

私の力で 台風を消し去ることは出来ない





なにも出来ない 今 頭の体操をしたいと思う・・

勉強がキライだった 学生時代

歴史など全く興味がなかった・・・

歴史など詳しくはないが・・・・




しかし・・・・実際に 歴史的な場所に行くと 知りたくなるのが人の心理ではないか?

先日 その場所に行ってきた。




三門

歌舞伎の『楼門五三桐』(さんもんごさんのきり)の

二幕目返しで石川五右衛門が「絶景かな絶景かな……」という名科白を廻す「南禅寺山門」がこれである。

ただし実際の三門は五右衛門の死後30年以上経った寛永5年(1628年)の建築。

五間三戸(正面柱間が5間で、うち中央3間が出入口)の二重門(2階建ての門)。

藤堂高虎が大坂夏の陣で戦死した一門の武士たちの冥福を祈るため寄進したものである。

上層は「五鳳楼」といい、釈迦如来と十六羅漢像のほか、

寄進者の藤堂家歴代の位牌、大坂の役の戦死者の位牌などを安置する。









三門(南禅寺)が建てられた時期の沖縄はどうだったか?

調べた・・・・






尚賢王(しょうけんおう)




琉球国中山王



在位

1641年 - 1647年

出生

1625年10月15日

死去

1647年10月19日(22歳)

埋葬

1647年

琉球国・首里玉陵



配偶者

玉寄按司加那志







王家

第二尚氏


尚 賢王(しょう けんおう、1625年10月15日(天啓5年9月15)

- 1647年10月19日(順治4年9月22日))は琉球王国第二尚氏王朝の

第9代国王(在位:1641年 - 1647年)。生誕時から薩摩で育つ。

しかし、17歳で即位後、「遠見番」をつくり、烽火の制を定めた。

また、黒糖、ウコンの専売制はこの時代に始まった。





砂糖専売制 (さとうせんばいせい)


 
王府時代、砂糖はウコンと並ぶ重要な輸出産業であり、

ともに王府による専売制度が取られていた。

貢米の一部を黒糖で代納させ、

鹿児島の琉球館を通じて薩摩商人らと取り引きして利潤を挙げた。

17世紀半ばから廃藩置県まで存続した。


関連記事