長谷寺(はせでら)

石屋の正

2011年01月03日 16:11

長谷寺(はせでら)


今回の遠征先

神奈川県に行って参りました。












水子を祀ってる。

圧倒され 感動しました!!








長谷寺 一番の見所は

境内の景観だ!!

TVで見る以上の 迫力でした。

大満足!!



長谷寺(はせでら)は、奈良県桜井市にある真言宗豊山派(ぶざんは)総本山の寺。

山号を豊山神楽院と称する。本尊は十一面観音、

開基(創立者)は道明上人とされる。

西国三十三箇所観音霊場の第八番札所であり、

日本でも有数の観音霊場として知られる。


大和と伊勢を結ぶ初瀬街道を見下ろす初瀬山の中腹に本堂が建つ。

初瀬山は牡丹の名所であり、4月下旬~5月上旬は150種類以上、

7,000株と言われる牡丹が満開になり、

当寺は古くから「花の御寺」と称されている。

また「枕草子」、「源氏物語」、「更級日記」など多くの古典文学にも登場する。

中でも「源氏物語」にある玉鬘(たまかずら)の

巻のエピソード中に登場する二本(ふたもと)の杉は現在も境内に残っている。




歴史

長谷寺の創建は奈良時代、8世紀前半と推定されるが、

創建の詳しい時期や事情は不明である。

寺伝によれば、天武朝の朱鳥元年(686年)、

道明上人が初瀬山の西の丘(現在、本長谷寺と呼ばれている場所)に三重塔を建立、

続いて神亀4年(727年)、徳道上人が東の丘(現在の本堂の地)に

本尊十一面観音像を祀って開山したというが、

これらのことについては正史に見えず、伝承の域を出ない。


長谷寺は平安時代中期以降、観音霊場として貴族の信仰を集めた。

万寿元年(1024年)には藤原道長が参詣しており、

中世以降は武士や庶民にも信仰を広めた。


長谷寺は東大寺(華厳宗)の末寺であったが、

平安時代中期には興福寺(法相宗)の末寺となり、

16世紀以降は興教大師覚鑁(かくばん)によって興され

頼瑜僧正により成道した新義真言宗の流れをくむ寺院となっている。

天正16年(1588年)、豊臣秀吉により根来山を追われた新義真言宗門徒が入山し、

同派の僧正専誉により現在の真言宗豊山派が大成された。

近年は、子弟教育・僧侶(教師)の育成に力を入れており、

学問寺としての性格を強めている。


十一面観音を本尊とし「長谷寺」を名乗る寺院は鎌倉の長谷寺をはじめ日本各地に多く、

他と区別するため「大和国長谷寺」「総本山長谷寺」等と呼称することもある。

















続きは 後日


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