2010年10月13日
岩崎弥太郎
三菱財閥の創始者
岩崎弥太郎(いわさきやたろう)

1834(天保5)年、土佐藩地下(ぢげ)浪人弥次郎の長男として
土佐国安芸郡井ノ口村(高知県安芸市)に生まれる。
名は寛、号は東山。1855年、江戸へのぼり、
安積艮斎(あさかごんさい)の塾に入門したが、
父の奇禍で帰国、父に連座し入牢する。
その後、土佐藩参政吉田東洋の門下生となり
下横目の職を得、長崎に出張するが、無断帰国し解職される。
1866年、再び土佐商会主任として長崎に行き藩の貿易に従事する。
同所閉鎖後、大坂出張所に勤務する。
維新後の1870年10月同所解散後、土佐開成商社が九十九(つくも)商会と改称し、
船2隻を土佐藩外債を肩代わりする条件で入手、海運業に従事した。
同商会は1873年に三菱商会と改名し、岩崎弥太郎個人の企業になった。
新政府の軍需輸送を独占して巨利を占め、
全国汽船総トン数の73%を手中に収めた。
これと並行して海運業からの多角化によって三菱財閥の基礎を築く。
1885(明治18)年2月7日50歳で急逝。
墓地はまことにゴージャスな世界を繰り広げている。
入口は高い木の塀で囲まれ、人々を寄せつけない。
これは、弥太郎の事業運営の苦悩がうかがえる。
また、竿石の下が猫足であるところも注目すべき点である。
戒名 ー
職業 明治前期の実業家
没年齢 50歳
所在地 ー
墓の方位 東南
正面入り口の方位 ー
玉垣 ー
境石 11cm
竿石 90cm
石質 白御影石
墓のスタイル 猫足あり
台座
1987年現在の資料に基づいております。
参考資料
日本の墓
ホームページ公開中
http://ameku148.com
【天久石材店】
【沖縄一の安さを目指す】
岩崎弥太郎(いわさきやたろう)
1834(天保5)年、土佐藩地下(ぢげ)浪人弥次郎の長男として
土佐国安芸郡井ノ口村(高知県安芸市)に生まれる。
名は寛、号は東山。1855年、江戸へのぼり、
安積艮斎(あさかごんさい)の塾に入門したが、
父の奇禍で帰国、父に連座し入牢する。
その後、土佐藩参政吉田東洋の門下生となり
下横目の職を得、長崎に出張するが、無断帰国し解職される。
1866年、再び土佐商会主任として長崎に行き藩の貿易に従事する。
同所閉鎖後、大坂出張所に勤務する。
維新後の1870年10月同所解散後、土佐開成商社が九十九(つくも)商会と改称し、
船2隻を土佐藩外債を肩代わりする条件で入手、海運業に従事した。
同商会は1873年に三菱商会と改名し、岩崎弥太郎個人の企業になった。
新政府の軍需輸送を独占して巨利を占め、
全国汽船総トン数の73%を手中に収めた。
これと並行して海運業からの多角化によって三菱財閥の基礎を築く。
1885(明治18)年2月7日50歳で急逝。
墓地はまことにゴージャスな世界を繰り広げている。
入口は高い木の塀で囲まれ、人々を寄せつけない。
これは、弥太郎の事業運営の苦悩がうかがえる。
また、竿石の下が猫足であるところも注目すべき点である。
戒名 ー
職業 明治前期の実業家
没年齢 50歳
所在地 ー
墓の方位 東南
正面入り口の方位 ー
玉垣 ー
境石 11cm
竿石 90cm
石質 白御影石
墓のスタイル 猫足あり
台座
1987年現在の資料に基づいております。
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Posted by 石屋の正 at 12:34│Comments(0)
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