フランスの葬儀
美しい街並み、貴重な絵画の数々、
通りを闊歩する女性たちのファッション、
グルメたちを惹き付ける美味、そして何より町にあふれる自由な雰囲気。
訪れたすべての人を魅了する都市、フランス・パリ。
その都を愛し、そこで生を終えた人々は、
どのように死後の世界へと旅立っていくのか。
今回は、フランス、特にパリの葬儀とお墓について、ご紹介します。
芸術散歩が楽しめるパリの墓地
パリでのんびりとした時間を過ごしたいなら、
墓地へ行くといいという話をよく聞きます。
実際、パリの墓地は、日本のお墓のイメージとはかなり異なるもの。
ジメジメとした雰囲気はなく、明るく、まるで公園のようです。
墓石も、華麗な彫刻を施したものや胸像のあるものなど、個性豊か。
生前のその人の人柄や生き方を、ひとつひとつのお墓が語っているかのようです。
現在、パリには、二十カ所の市営墓地があり、
そのなかの十四墓地は市内の交通の便の良いところにあります。
いずれの墓地でも、一区画はすべて一メートル×二メートル。
お金持ちも、有名人もあらゆる人が同じ広さです。
使用期限は六年から永代まで五タイプに分かれ、
使用期限の過ぎたお墓は掘り起こされて次の死者のお墓へと変えられます。
各墓地には、フランス文花を花開かせた文学や芸術の担い手たちが多数眠っています。
たとえば、パリ最大の規模を誇るペール・ラシェーズ墓地には、
作曲家のショパンやロッシーニ、作家のドーデやプルースト、
画家のモジリアニやドラクロワ、詩人のアポリネール、
俳優のイヴ・モンタンなど、多彩な分野の著名人のお墓があります。
パリの貧しい家で生まれ育ち、
後に愛の喜びや哀しみを歌って世界中の人々の
心をとらえたエディット・ピアフも、ファンが捧げる美しい花々に囲まれてここに眠っています。
死後の復活を願って
また、ちょっと風変わりな観光スポットとして人気のあるのが、
カタコンブと呼ばれる地下墓地です。
ここは、ローマ時代の採石場の後で、
無縁仏六百万体が納骨されているところ。
複雑に入り組んだ暗くて広大な地下道の壁の両側には、
たくさんの頭蓋骨が整然と重なって置かれ、
ときには骨で模様まで描かれています。
カタコンブは、第二次世界大戦の際、ナチスに抵抗したレジスタンスたちが、
指令部を置いた事でも知られています。
頭蓋骨がこのように残っていることでも明らかなように、
遺体は土中に埋葬され、一定の時間が過ぎると掘り返し、納骨されていました。
いまでは、故人や遺族の希望で火葬にされることもありますが、
多くの人々はやはり一般的な土葬を望みます。
というのも、フランス人の多くはもともとカトリック信者。
キリストが十字架にかけられ、埋葬されてから復活したように、
自らも復活を遂げ、永遠の生を受けるためには、
遺体を消滅させてはならない、灰となってはならない、との思いがあるからです。
実際、十九世紀以前には、「火葬せよとの遺言はこれを執行してはならない」との教会法があったように、
カトリック教徒にとって、火葬は背信的な意味を持っていたのです。
安い料金で、誰もがあの世へと旅立つ
この国の葬儀もまた、多くはカトリックの教えに準じたもの。
舟形の棺には、故人が成人であれば黒、子供であれば白の布を掛け、
故人のイニシャルのついた盾を乗せます。
葬儀の場には、黒のカーテンを張りめぐらし、棺とともに燭台を置きます。
パリでは、葬儀の場の飾り付けをはじめ、遺体の搬送や納棺、
葬儀用品の仕入れなどの基本部分を区営の公社が運営しています。
また、葬儀の進行などを市営の葬儀社に依頼するとしても、
その料金やサービスに関しては、厳密な規定があります。
そのため、掛かる費用は日本と比べてずっと安価。
葬儀は福祉の一貫であり、社会全体でケアするものとの考えが根底にあるのでしょう。
誰もが安い料金で葬儀を行え、有名人であろうが、庶民であろうが、
同じ二平方メートルの広さの土の下で眠ることが出来るパリ。
そして、ある者は華やかな墓石を、ある者はシンプルな墓石を、
またある者は芸術的な墓石を建て個性を発揮するパリ。
それは自由と平等の国、フランスの都に生きる人たちにふさわしいフィナーレなのかもしれません。
参考資料
葬祭研究所
ホームページ公開中
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